当時の日本は、欧米諸国に負けない近代国家へと国を変貌させるべく、旧来の社会構造を否定し、新国家を創ろうとしていた時代である。そしてそのような考えは戦後、戦災復興という新たなイメージを付加され、高度経済成長政策を追い風に「良い事」として固定された概念となっていった。その結果が現在の環境破壊であり、原発事故であり、津波被害の拡大を招いた沿岸部の埋め立てと開発、地域独自文化の衰退である