足湯をし、「つぶやき」を聴いたものがその場で被災者に返すことができる場合は問題がないが、時間が経過してからの「つぶや
き」を見て対処する場合は、その「つぶやき」を聴いたときの被災者の状況や感情などが読み取れない。また、ほとんどは標準語で書き留めているので地方の方言を聴いて、その意味説明を受けて標準語に転換して書いている場合は、正確な「つぶやき」になっていない。またコミュニケーションに焦点をおいたとき、ボランティアが何に感応されてそれを記録し、言葉で表現しているのかなどと、さまざまに「つぶやき」についての課題が表出してくる。こうした多彩な視点から「つぶやき」を言語化することで、より普遍的な傾向が可視化され、課題解決につながると言えるのかも知れない。