本震災のような事態においては、「情報を発信する側」も、事態の外在者としての立場を超えて、避難する当事者であることを「身をもって」知らせることによってはじめて、真の「リアリティ・ステイクホルダー」になりえるのではないか。ここにおいてようやく、避難行動における「社会的なリアリティ」を、『たぶん自分は大夫だろう』といった、いわゆる「正常化の偏見」(中森,2002;福田・関谷,2005;片田・児玉・桑沢・越村,2005;矢守,2009a;矢守,2011a)が支配する様相から、大きく転換させることができるのではないかと考える。